教会の神秘

聖体


ペテロのことばを受け入れた者は、バプテスマを受け、その日、三千人ほどが弟子に加わった。そして、彼らは使徒たちの教えをかたく守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われた。信者となった者たちはみな一つになって、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして神殿に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主は毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

– 使徒2:41-47

その日から弟子たちは、神の真理、愛、赦しを他の人と分かち合いながら、世に出て行きました。イエスと共に歩いた当時のイエスの働きを、弟子たちは霊の助けを借りて行いました。―病人をいやし、悪霊を追い払い、人々を神と和解させました。そして弟子たちの周りに集まる人々は日を追って増えて行きました。

– ザ・ホープ 12章

観察し、考える

ある日聖霊がイエスの弟子たちを満たし、特別な出来事が生じました。多くの人に教会として知られているものを、聖書は神秘と呼びます。エペソ3:9、10でパウロはこう記しています。「万物を創造した神のうちに世の初めから隠されていた秘められた計画がどの様に実現されるのかを、明らかにするためです。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、」。

イエスと教会の関係を述べるために、聖書はいくつかのたとえを用います。そのいくつかを紹介すると、

  • 教会は生ける神殿であり、イエスは神殿の礎石です。(第一ペテロ2:4-8)
  • 教会は王なる祭司の王国であり、イエスは大祭司です。(第一ペテロ2:9、ヘブル10:19-21)
  • 教会は神の群れであり、イエスは羊飼いです。(ヨハネ10:11、ヘブル13:20)
  • 教会員は、ぶどうの木であるイエスにつながる枝です。(ヨハネ15:5)
  • 教会は花嫁であり、イエスは花婿です。(エペソ5:31-32、黙示19:7)

このたとえのそれぞれが想像力をかき立てるものですが、中でも第一コリント12章の喩えがおそらく最も意味深いと言えるでしょう。聖書は教会を、かしらであるキリストの体に喩えています(エペソ5:23にあるように)。現在イエスは天の父と共におられることを、私たちは知っています。イエスは信じる者のために場所を備え(ヨハネ14:2)、その人々のために祈っておられます(ローマ8:34)。地上でのイエスの臨在は、聖霊により、イエスの体である教会を通して明らかにされています。この意味で、教会員は世にあってイエスの腕、手、足、目、唇なのです。イエスはからだの頭として、聖霊を通して、地上の教会の活動を導いておられます。

イエスと教会の関係をからだに喩えて、次の二つの真理を考えてください。

  1. からだのすべての部分が、完全な機能を果たすために必要なのです。もしどの器官でも弱かったり失われたりすれば、からだ全体が苦しみます。
  2. 体の部分が正常に機能して初めて、それを構成する自分の立場がわかります。指が手から離れるとその役目を果たせないように、イエスのからだとの正しい関係を離れると、イエスにある自分の立場が弟子たちにはわかりません。

質問し、黙想する

  • イエスの教会との関係についての5つのたとえのうち、どれが一番あなたにとって意義深かったですか。なぜですか。
  • あなたはキリストの体の生きた部分であると感じますか。なぜですか、あるいはなぜそうではないですか。
  • キリストの体ともっと活発な関係を持つために、何をすることができますか。

決心し、行動する

地球規模の教会は、世界中の地域教会によって可能です。特別の教団を推進することが、このスタディ・ガイドの目的ではありません。むしろイエスの弟子が地域教会に忠実につながっているようにという聖書の教えを強調することです。(ヘブル10:25)

すべてのイエスの弟子の責任は、

  • (a) 神を知り、永遠のいのちを受ける道としてのキリスト・イエスに対する信仰と(b)神のことばである聖書を明確に教える教会を見つけること。
  • 神に用いていただき、成長させていただけるように、キリストの体にどのように仕えることができるかを見出すこと。
  • 地域教会への献身に忠実であること。

参照

JA1955から取ら聖書の引用